X年、正午。各神話殲滅機関の《門》を往来する輸送隊が、レイクランド支部に到着した。基本的に物資はイースト・ロンドンを中心に枝分かれする形で運送されるが、「書籍」はその限りではなかった。求めるものが多い地域へ、順繰りに、円を描いて巡っている。門を通過するための輸送車は小型化を推奨されており、運搬物ごとに車を分けられている。書物は番重を幾重にも重ねられた状態で積み込まれていたので、職員がひとつひとつおろす作業を行なっている最中だった。その中の一冊、「女帝アルカナの来歴、発露」と題された単行本を、イェニカが手に取った。赤いなめし革を用いた、重厚感のある書籍は、一国の辞書さながらである。おそるおそる表紙をひらけば、糊ばった音がぴりぴりと剥がれた。巻頭に記されている文言──太陽を沈めんと試みるものへ──という但し書きを、ぼそりと、イェニカが読み上げた。
「なぜ、他部門にもこの書籍が必要なんですかね。少なくとも、女帝がいるのはこのレイクランドですよね」
大図書館から荷が届くと聞き、基本的に各アルカナ部隊の隊長は目を通しに集っていた。塔・ヴアシに至っては、今読んだってどうせ変わらんという豪語と洪笑が返ったのみで、この場にはいなかった。大方機関に設営されている鍛錬場にこもっているのだろうと皆予測立てており、大方当たっていた。
「まあ、イルも連携が必要ってことは身に染みてるだろうが、それの延長だよな。おれたちのことだけわかってても、有事の際にゃ意味ないかもしれんし」
「……分断ですか」
「若いのは察しがよくって助かるよ。他の地域のアルカナ持ちと組まなきゃなんねえことの方がずっと多いしな。模擬戦とかな」
イルと同じく新顔であるイェニカがごくりと唾を飲んだ。レイクランド支部には、勤続年数一年目が二人いる。少し背丈の低いシンが、「すぐに慣れよう!」とイルとイェニカの間にまわり、その背を叩いた。その様子を微笑ましく見つめながら、これ以上でかいのに似ていっても困る、と、複雑なため息をおとした。
「あ、イスカリヨテ殿!」
「ん?」
そういえば、とシンが振り返る。
「セントラルから客人と聞いていましたが、もうお会いに⁉︎」
「客……?」
ちょっと待ってろ、とユダは手を振り上げ「おい」と一声、部屋の隅に控えていた副官を呼び立てる。二、三言葉を交わしたあと、手帳を数回めくり直し、自身のあごに手を当て、「もういいぜ」と戻された。
「悪い、知らねえわ。機関の方の客とかじゃねえかな」
「そうでしたか! 失礼いたしました!」
「おん」
それを聞くなり、シンはぱっと笑顔をふりまき、先輩の風をふかせながら、イルとイェニカに書物の詳細説明にむきなおった。
「おまえらー」
「はい?」
不安そうにイェニカが視線だけをユダへよこす。
「勉強熱心になるのは立派なことだが、休息だけは、ちゃんと取るんだぞ」
「ああ……お気遣い、ありがとうございます」
桃色の長いまつ毛を綺麗に伏せて、彼は会釈した。
「シン、そしたらあとは頼んでいいか? おれはちょっと、部屋で夕方の会議の資料をまとめてくるよ」
「わかりました‼︎ ……あ、ヴアシ殿は」
「ほっとけ、どうせ時間通りに来ねんだから」
それもそうですね、と笑う声を最後に、ユダは転送室を後にした。
◼︎
「おい、これ間違ってるぞ。いいのか」
会議の全ては腕組みで乗り切ってきたからな、というカイザーの談に、嫌な予感を覚えたユダは、即刻資料を洗い直した。作戦機密においては、解釈の揺れが最も恐ろしいものとされている。現場で全てを整えるのは勿論、大前提として、全員の理解は統一されて然るべきである。そして嫌な予感は読み通りあたり、ひとつの表記揺れが、作戦を全く別のものへと刷新していることを、ユダは指摘した。ん?と、まだ少年の面影色濃い瞼を持ち上げて覗き込む。しばらく眼球を上下に動かし、唸ったあと、「お、本当だ!」と用紙を奪い取った。
「ちょっと連絡してくるわ」
「分かった。んじゃおれも外に出るかな」
「お、じゃあ今日の勉強会おわり⁉︎」
「うん。会議自体は夕方だし、それ終わったらもうヴアシんとこ行っていいよ」
「よっしゃ!」
勢いよく立ち上がると、カイザーは脱兎のようにかけだした。騒音に慣れっこなレイクランドアルカナ職員は、「図書館で走らない」と大声で青年を嗜めたが、それが直ることは来ない日もまたよく理解していた。扉の向こうから耳ざとくきいていたカイザーは、「はい!」と良い返事だけ打ち返し、また走り出した。
東西南北は地域によるが、支部から少し離れた程度の距離に、各地域を代表する図書館がある。今日はレイクランドとセントラルで、模擬戦の予定と合同実演の会議があった。アイルランド方面の奪還作戦を想定した、比較的大掛かりなもので、各地域の職員がレイクランド支部から作戦設営を行なっていた。
この予定を初めて耳にした時、カイザーはにんまりと頬をあげて喜んだ。連日連夜、ヴアシに手合わせを頼めるとは!次こそぶったおしてやろう! そうだ、ついでにユダに兵法と算学を学べばいいや。副官にも怒られなくってすむだろう。そしてさらに、本日分の学習は終了ときた。あとはどれだけ体を動かしても文句を言われる筋合いはないのだ!
はやる足でレイクランド支部内を駆け回ると、件の変更箇所を伝えるべき、「皇帝」の部下に出会した。
「カイザー。そんなに急いでどうされたのですか?」
「あっ、おまえ!ちょうどよかった」
「はあ、何か」
「ここの作戦、間違ってる」
「えっ」
「多分、前項目で作戦の向きを左右として示したのが悪いんだ。東西南北で位置を指定しないとこうなる。これが俺の部隊だけで起きてたら、会議だけじゃなくて現地でもとんでもない事故がおきるぞ」
いつだかユダに聞いた言葉をそのまま伝達した。
「なんと……、急ぎ作成者を特定しますね」
「あー、そういうのはいらん。犯人探しはやるだけ無駄だ。失態のあった事実だけ周知して修正しろ。良いな」
「……はい」
部下はすっかり背丈の大きくなった青年に少しだけ目尻をさげ、頷いた。
「さすがは、我らの『皇帝』ですね」
皇帝は、一拍も空けることなくそれに頷き返す。
「当然だ」
まるで欲しい答えなど全て知っているかのように。
時間を惜しんだカイザーは、また足を早めた。
施設の作りは各支部ごとに基本的に同じである。目当てのヴアシに会うために、カイザーはひとまず修練場に向かうことにした。というか、いつもそうしていた。修練場は機密と防音のために、基本的に広くひらけた中庭のような体裁で用意されている。行きすぎた能力の行使や、限界を試す武器の扱いなどの余波を受け、修繕を繰り返す関係から、周囲の一階部分にはほとんど部屋や通路は置かれていないため、二階から階段を降りる形で向かわなくてはならない。
その二階へと向かう途中、必ず通る通路部分に、基本的には宿舎がある。普段は特に気にも留めなかったが、今日はユダのおかげもあって部下に良い思いをさせることができた。外へ行くと言っていたが、今は部屋にいるのだろうか。礼の一つでも──という言い訳を盾に、カイザーは、宿舎部分の表札を順々になぞった。知らない名前、知らない名前、興味ない名前、ボロボロの表札で読めないがおそらくそれ故にこれはヴアシ……と、左右の指差し確認を続けた先に、ユダ、とだけ書かれた部屋をみつけた。あどけない、悪戯を思いついた表情のまま、ノックひとつせずにドアノブに飛びつき回した。
「おい吊る男!」
がちゃり。
鍵ひとつかかっていなかった扉は抵抗なく開いた。
「不用心」
締まり切った窓からは細い隙間の形をした光が伸びるのみで、あとはカイザーの背にある自然光だけがうすぼんやりと部屋を照らしていた。家主のいないさみしげな部屋に、興味一本の蝋燭で足を踏み入れる。
ほとんど何もない、がらんどうの部屋だった。ベッドには毛布が七、八枚は積まれており、寒がりなのが伺えた。レイクランドの標高は、ファーノースには至らぬものの、真冬の湖水は氷庫と代わるのもあるのだろう。何か隠されているものはないか、とベッドの下も覗き込んだが、なんとも面白みに欠けることに、いくつもの文字が、記憶のために何十も転写されて丸められた紙屑が転がっているのみだった。窓辺には花が生けられていたが、同じ種の花が均等に異なる水で配置されており、どう考えても観察のためだと読み取れた。これでは色ごとのイの字もなかろうな、と、舌を出しながらカイザーは思った。机の上をのぞくと、異なる題目の本が何十冊と重なっていた。兵法、算学、語学、座学、経営論? こんなものを読んで何になるのだろう、そう思いながら開けると、そこには覚え書きもいくつもいくつも挟まっていた。──『これは重要』、『必須』といった簡素なものから、『筆者は多分頭悪い』などという変な感想まで、まるでユダの声が聞こえるようだった。
カイザーはそれがおもしろくなって、一冊の兵法書を手に、ふかふかのベッドに勢いよく座り込んだ。しばらくページをすすめた先で、また本が語りかけてくる。
『伝達部分が苦手らしい。士気はうまくとれるくせに、語彙がないからだ』
『間抜け』
『次、あいつに教えるときはこうする』
そうしていくつかの要点が羅列されている。
「あいつ、本としゃべってんのかよ!」
ははは、と高らかに笑いながら寝転んだ。なにせ毛布が幾重につまれたベッドだ。走り回った体温に加えて、いくらか暖かかった。昼下がり、ああなんて良い気候。ここには誰もいなかった。それがなんだかとっても楽で、とても軽やかで──……。
「……なんでこいつ、こんなところで寝てるんだ?」
忘れ物を取りに自室に戻ってきたユダは訝しんだ。自分と似通った体躯の青年がくるまっているのは、自分のお気に入りの毛布だった。ユダの出身地はイーストロンドンにほど近い農耕地区にあり、田舎の祖母が昔仕立てていた織物にとてもよく似ていたものだ。今すぐひっぺがえしてやる、と毛布を掴んだそのとき、彼が頭もとで指をさしたまま閉じかけていた本が目に入った。
「読んだな」
こいつどこまで、と思いそちらをさきに引き取った。舌打ちをしながらページを確認する。
『結局同い年ってことか』
「あ」
本を勢いよく閉じた。
そのまま、その場で起きる気配ひとつ見せない男を見た。
書物を、自分の心を整理するのと同じように、順序立ててしまう。紙も一枚一枚、向きをそろえ、机の上においた。花は光による成長の差異を観察しているものだ。いつも通り、記録をつける。一分もしないうちに、日課は終わった。そうして結局、ユダは、毛布ひとつ奪うことも忘れて、部屋の扉を音を立てないように気を払って閉じた。
ヴアシに会えると確信していたから、修練場へ向かう道のりを、早足で歩いた。なんだか変な焦りがあった。きょろきょろと左右を見回しながら、十字路に出たところで、何かとぶつかる。
「ん、逆さの?」
「お、っと……ヴアシ、悪い」
「良い良い! おまえにぶつかった程度では減るもんなど何もないわ!」
「あー、おう、そうね……」
数歩後ろに下げられていたユダは、まさしく図星であったため、居心地悪く笑った。
「して、何か用か? 珍しいのう、今日はてっきり、カイザーが来るかと思っておったぞ」
「あ、それなんだけどさ」
「ふむ」
あいつ寝てるから、会議の後とかにしてやってよ。
それだけの言葉が、なぜか咄嗟に喉の奥でひっかかったのを感じた。── 一体何が正解なのだ? ユダは焦っていた。起こさないであげたい、これで良いのか? 少し違う。休息は誰しも必要だから? なんだか食い違っている気がする。特別扱い? ことさら違う。そういったものはむしろ忌避しているところにあって──……。
「カイザーに、やってる、あの、訓練さ」
「おう!」
「お、おれにもたまにはやってくんない」
ヴアシは聞くなり白い目玉をにっと細め、ユダの細っこい背中を音を立てて叩いた。
「その意気やよし!」
ユダは早くも後悔した。
◼︎
「返せアホンダラァ〜‼︎」
ユダは勢いよく毛布を剥ぎ取り、ベッドの呼びもしていない客人を転がした。この程度で起きるようであれば苦労はなく、今頃このベッドの住民権は勝ち得ていただろう。最早なにか呼びかけるのすら億劫だったので、ユダは乱雑に床に毛布をばさばさと敷き、その上に適当に寝そべった。
まだ一八か九だかのころ、ヴアシとの鍛錬でボロボロになった体を、カイザーがいることを忘れて共にベッドに転がった際は、寝相の悪さに酷い目にあったものだった。まだ枕にしてくるだけならいくらか許せそうなものだが、睡眠時間が鍛錬時間に代わるのは解せなかった。その経験からこうして床で眠っているわけだったが。
「ユダ〜、床とか寒くねえの? 相変わらずアホだな……」
突如ベッドの上からなにしてんだ、と声がかかる。
様々な怒りが沸々と湧き、誰のせいで、と立ち上がると、また変わらない笑い顔と目が合った。
結局、自室でカイザーが眠っていることを、誰かに話したことはない。
別段、それを特別に思ったことはないが、つまるところそれこそが答えであった。
『ただのひと』であれる時間というのは、我々には限りなく短く、ただの友達だったのならどんなに良いのだろうと思い続けているだけのことなのだ。それは、図体だけが大きくなっても、年齢だけが積み重なっても、あまり大差のないことなのかと、ユダは現在になってようやく理解してきている。
